rwehnio

部屋の中、一人。時々、見られている感覚がする。
部屋以外でも、トイレや浴室でもある。
確実に一人しかいない空間で起きる感覚。
外でもあるかもしれないけれど、覚えはない。
おそらく誰もが経験したことがあるのではなかろうか?
今も背中がゾワゾワ(?)している。
ツーっと背を何かが這っていくような、
それでいて触られていない、そんな感覚。
もちろん振り向いても何もないわけだけれども、コレって何なんだろうね?

今日のお願い

もうネガティブな夢を見させるのはやめてください。おなかいっぱいです。

つながり

ちょいと前に書いてるように残念ながらワタクシ病んでおります。
精神的なもんなんですが、どんなもんかというと、体と脳ミソがちょっと上手くつながってない感じです。
例えば、手を上げるとしたら脳が「上げるよ」と命令を出して腕が「はいよ」ってなもんで上がるわけですが、
「上げるよ」→「はいよ」の間に若干のタイムラグがある感じです。
とはいえ、そんな数秒間も間があるわけでもなく、0コンマ何秒程度のものです。
ひどい時は秒単位くらいでラグがあったわけですが、だいぶマシになったもんです。
動いたりしゃべったりするときはこのラグを意識しながら行っております。
最近はそれに慣れてしまっているので、逆に戻ったときに違和感を感じるようになるかも。嫌だなあそれ。
動悸だとかめまい、吐き気はほぼ問題なし。
会社に行こうとしたときにどうなるかが問題なんですが、そこはそれ。復帰したときに考えればよろしい。
で、今でもダメなのは激しい細かな光の明滅です。
以前、バーに行こうと友人に誘われた(禁酒中だがソフトドリンクくらいあるだろうと踏んだ)んですが、
バーというか、クラブだったのがまずかった。
ミラーボールに反射された細かな光がブワーッと展開されているのを見て、脳の処理が追いつかない。
ちょっとして外に出たんですが、数分間上手く喋れない動けないで友人に心配をかけました。
しばらくはああいうところへの出入りは怖くて出来ません。
ただ年末に音楽フェスに行ったときはそんなに脳にこなかったので、ああいう大雑把なライトやレーザーは大丈夫そうです。
そもそも、精神疾患者がフェスなんぞに行くなという話もあがりそうですがそれはそれ。

とりあえず2月末あたり復帰目指してがんばろー。おー。

ミューティング

以前友人が「この赤は本当に赤なのか?」というような問答をしたような気がする。
最近は考えるか、体を動かしていないと眠気がやりたい放題なのであれやこれやと試行錯誤している。
ということでこの問答について。


もちろん赤は赤であるし、別に明るい赤とか黒い赤とかいう問題ではない。
自分は赤色を赤色として認識しているが、他人から見れば赤色ではない違う色ではないか?ということである。
自分にとっての赤が他人にとっての緑かもしれない。
自分が赤は赤であると思い込んでいるがゆえにそれが赤であると。
例えば色でなくても、形でも同じことが言える。
自分が丸だと思っていても、他人から見れば四角なのかもしれない。
だから、「俺がお前でお前が俺で」みたいな状況に陥ったときにどのように見えるのかということだ。
もしか自分が赤と思っていたものが赤でなければ?
丸だと思っていたものが三角だったら?
色彩や形という視覚が与える情報はあまりにも大きい。
教え込まれた定義自体がひっくり返ってしまうのだからたまったものではない。
もしかしたら、そのような状態に陥っても定義自体はその人の精神に依るもので何の問題もないのかもしれない。
その場合は問題はない。入れ替わったという事態自体が問題ではあるが。
そもそもそんな状態に陥ることはまずありえないので証明のしようがない。
数百nmの波長の光を何色とする、という定義があるから色は体をなすのである。
自分にとっての赤があなたにとっての緑であっても問題はないのである。
形に関してはどうか?
形は同じでないと破綻する事象が多く出てきそうなので同じなのかもしれない。


そういえば、自分は色弱らしいのだが、アレは特定の波長を区別できないということなのだろうか?
ちょっとまた調べてみよう。
しかしまあ、本当にどうでもいいことを考えて一日を過ごす日々だ。

存在の証明


*注意
この文章は、自分が考えているとりとめのないことを書いているだけなので
興味のない方は読むだけ時間の無駄です。
さっさと戻るボタンを押すなり消すなりするほうがよいと思います。


ふと文章が書きたくなる。そんな衝動がよくある。
実際に書いてみることは少ないのだが、書いた後に「何を書いてんねん」と思うことが常々ある。
だから自分はその文章を誰かに見せることはほとんどない。
しかし、このブログであったり、Facebookであったりでその片鱗を出していることはある。
よくわからない比喩表現だったり、なんとなく暗喩しているように見せかけて、その実、なにもオチはないことなどままあることだ。
今回もそんな文章だ。
笑わせにかかることもあるし、それこそ何も考えず書いていることもある。今のように。
正確に言うと、「書く」ではなく「打つ」といったほうがよいのかもしれない。
現実として、鉛筆を持つことは少なくなっている。
仕事においてもコンピューターに頼りすぎな部分も見受けられる。
もっとも、現在は仕事を休職中なのでより文章を「書く」ということは少なくなる。
「書く」=「打つ」ということでいいか。どっちでもいいわ。


なんとなく考えることをそのまま文章にするのは楽しい。
打ち込むのに必死で考えながら書いているので楽しいのかどうかわからないといえばわからない。
ちょこちょことミスタイプや誤変換があったりすると、いちいちバックスペースキーを押さなければならないのが嫌いだ。
押しているその瞬間、今書いている文章について考えてしまうので勢いがなくなってしまう。
リアルタイムでないのだ。
勢いというのは大事だ。それが酒の力であったり、今みたいによくわからない何かしがの書きたいという欲求に身をゆだねることであったり。
だから、自分の文章の接続詞や文章の前後でちぐはぐだったりすることもある。
そういうときは普通は書き直し、推敲みたいなものをするんだけれども、しないときもある。
それがその時の考えたことであり、リアルであるからだ。
けして面倒くさいからではない。断じてない。うん。ないよ?


この書きたいという欲求と見てほしいという自己顕示欲は同じものなのかもしれない。
なんだかんだでかまってほしいのだ。
そのくせ急にぷいっと興味をなくしたりしてしまうこともあるかもしれない。
それが嫌だから、あまり人に本音を見せないのかもしれない。
本音と建前なんて言葉があるけれども、自分はあまり建前なんてものはないように感じる。
大体本音であることが多いゆえに接触を控える。


ここまで書いて、全然自分に関して興味がない人がこの文章を読んでも時間の無駄である、と思った。
なのでこの文章の頭に注意書きでも書くこととする。
よし、書き終わった。
なんだか不遜な注意書きになったが、このままでいいや。


上に書いたように現在は休職中である。
原因はうつ病である。
うつ病は甘えだなんてよく言われたりする昨今、まさか自分が罹患するとは思わなんだ。
どうすることもできないので、どうすることもしない。
一応よくはなってきているので、生活に支障に出ることはないだろう。
どんな症状かについてはまた機会があれば書こうと思う。
こんな文章を書いていることも、ある意味この病気のせいだ。
この病気のせいにすることで自分は非難を逃れられる。そんな甘い考えをもった男の文章なのだ。


また、Facebookも書いてるって書いたけれども、誰にも言ってないので誰にも見られていない。
この際だから、知っている人には友達申請しようかなと思う。
みてもらえないところで文章を書いて、自己満足をしていたけれども、どうやら次のステージへ進んでしまったらしい。
本名で登録しているので、検索すればすぐ出てくる。
あんまりそういう機能を使ってないので、よくわかんないけれども。


書くことで考えることができる。
考えるから書くことができる。
なんにせよ、今の自分が必要なのは頭を使うことだ。
いかに支離滅裂な文章だろうがかまわない。
文章が思っていることを一番率直に表すことができる。
音楽が趣味だけれど、それですべてを表現できる術を持っていない。
いつかできればいいけど、そんな日は来ないのだという事はなんとなくわかる。


ともかく、気が向いたら書く。
できれば日が開かないようにできればな、と思う次第でございました。
よくもまあ、意味のないことをつらつらと書けるもんだと自分でも思う。
ということで今日はお開き。

ポーラスター

無駄なものが多いんだ
世間も僕の中にも


切り捨てられるもんなら
白黒付けんのに


触れられたくないもんだ
誰だってきっとそうなんだって


ふざけんなって思ったって
どこにも繋がってなくって


だけどずっとあの星だって
微か光放ち続けている


だから僕も少しでも叫ぶの


この目に見えなくても
確かに光放つよ


未観測のままでいいよ
目印なんてなりゃしない
僕ができる目一杯の
声を上げて歌うから


未観測のままでいいよ
目印なんてなりゃしない
僕ができる目一杯の
声を上げて歌うんだ
だから