存在の証明


*注意
この文章は、自分が考えているとりとめのないことを書いているだけなので
興味のない方は読むだけ時間の無駄です。
さっさと戻るボタンを押すなり消すなりするほうがよいと思います。


ふと文章が書きたくなる。そんな衝動がよくある。
実際に書いてみることは少ないのだが、書いた後に「何を書いてんねん」と思うことが常々ある。
だから自分はその文章を誰かに見せることはほとんどない。
しかし、このブログであったり、Facebookであったりでその片鱗を出していることはある。
よくわからない比喩表現だったり、なんとなく暗喩しているように見せかけて、その実、なにもオチはないことなどままあることだ。
今回もそんな文章だ。
笑わせにかかることもあるし、それこそ何も考えず書いていることもある。今のように。
正確に言うと、「書く」ではなく「打つ」といったほうがよいのかもしれない。
現実として、鉛筆を持つことは少なくなっている。
仕事においてもコンピューターに頼りすぎな部分も見受けられる。
もっとも、現在は仕事を休職中なのでより文章を「書く」ということは少なくなる。
「書く」=「打つ」ということでいいか。どっちでもいいわ。


なんとなく考えることをそのまま文章にするのは楽しい。
打ち込むのに必死で考えながら書いているので楽しいのかどうかわからないといえばわからない。
ちょこちょことミスタイプや誤変換があったりすると、いちいちバックスペースキーを押さなければならないのが嫌いだ。
押しているその瞬間、今書いている文章について考えてしまうので勢いがなくなってしまう。
リアルタイムでないのだ。
勢いというのは大事だ。それが酒の力であったり、今みたいによくわからない何かしがの書きたいという欲求に身をゆだねることであったり。
だから、自分の文章の接続詞や文章の前後でちぐはぐだったりすることもある。
そういうときは普通は書き直し、推敲みたいなものをするんだけれども、しないときもある。
それがその時の考えたことであり、リアルであるからだ。
けして面倒くさいからではない。断じてない。うん。ないよ?


この書きたいという欲求と見てほしいという自己顕示欲は同じものなのかもしれない。
なんだかんだでかまってほしいのだ。
そのくせ急にぷいっと興味をなくしたりしてしまうこともあるかもしれない。
それが嫌だから、あまり人に本音を見せないのかもしれない。
本音と建前なんて言葉があるけれども、自分はあまり建前なんてものはないように感じる。
大体本音であることが多いゆえに接触を控える。


ここまで書いて、全然自分に関して興味がない人がこの文章を読んでも時間の無駄である、と思った。
なのでこの文章の頭に注意書きでも書くこととする。
よし、書き終わった。
なんだか不遜な注意書きになったが、このままでいいや。


上に書いたように現在は休職中である。
原因はうつ病である。
うつ病は甘えだなんてよく言われたりする昨今、まさか自分が罹患するとは思わなんだ。
どうすることもできないので、どうすることもしない。
一応よくはなってきているので、生活に支障に出ることはないだろう。
どんな症状かについてはまた機会があれば書こうと思う。
こんな文章を書いていることも、ある意味この病気のせいだ。
この病気のせいにすることで自分は非難を逃れられる。そんな甘い考えをもった男の文章なのだ。


また、Facebookも書いてるって書いたけれども、誰にも言ってないので誰にも見られていない。
この際だから、知っている人には友達申請しようかなと思う。
みてもらえないところで文章を書いて、自己満足をしていたけれども、どうやら次のステージへ進んでしまったらしい。
本名で登録しているので、検索すればすぐ出てくる。
あんまりそういう機能を使ってないので、よくわかんないけれども。


書くことで考えることができる。
考えるから書くことができる。
なんにせよ、今の自分が必要なのは頭を使うことだ。
いかに支離滅裂な文章だろうがかまわない。
文章が思っていることを一番率直に表すことができる。
音楽が趣味だけれど、それですべてを表現できる術を持っていない。
いつかできればいいけど、そんな日は来ないのだという事はなんとなくわかる。


ともかく、気が向いたら書く。
できれば日が開かないようにできればな、と思う次第でございました。
よくもまあ、意味のないことをつらつらと書けるもんだと自分でも思う。
ということで今日はお開き。